※見る人によっては善透とキジトラがカプっぽいことをしてます。あと善透にちょっとしたひどい捏造あり。


約束などいらない


体を蝕む熱気と湿気に悩まされる季節、夏である。今日も今日とて三十八度を越える気温に、日本全体が疲労していた。
大きく開いた窓から鳴り止まない蝉の声が善透とサビ丸の部屋を満たし、時折積雲が強い日差しを隠す。本日は晴れである。
「夏です!夏といえば花火ですぞ!花火を見に行きましょう!」
洗濯した善透のトランクスを高らかに掲げ、サビ丸は主張する。
だからパンツは洗うなと何度も言ってんだろ、善透は心の中で悪態をつく。しかし反論するにあたり、暑さで無駄な体力を使うのが嫌で、結局返事もせずパソコンで市場のチェックをしていた。株価が上がる流れはない。猛暑が頭をうまく働かせないせいで、不景気を抜きにしても善透は己の取引能力が落ちていることを悟る。
無関心の善透を気にした様子もなくサビ丸はトランクスを振り回している。外からこの部屋を見た人がいるなら確実に、夏だからちょっと頭のおかしい人が増えるよね、と思わずにはいられないだろう。
「たしかに善透様は花火を見ても感動も何も感じないタイプだとは思いますが、都合よく今日は花火大会もやりますし、せっかくですから見に行きましょう!」
「お前何気にひどいこと言ってるぞ」
思わず突っ込んでしまう。
事実、幼少の頃から何色も上がる花火を見てもゴレンジャーみたいだという印象しか持たなかった善透であるが、他人に言われる、特にサビ丸に指摘されると不愉快という言葉しかない。
「ね、行きましょうよー。もちろん焼きそば、カキ氷、ご馳走しますから!」
ぎゅっとパンツを握る手に力がこもった。善透は自分の大事な部分を握り潰されているような不快感を抱く。
「わかったよ、全部お前の奢りだからな」
実際のところ父親の金であろうが、奢りという言葉に惹かれ、行くということに腹を決めた。男同士で花火はいかがなものか、善透がそう気付くのは随分あとになってからだった。


色とりどりの屋台が並び、昔ながらの金魚すくいや的当てゲームなどが目に付く。きらびやかな群集で混み合っている。辺りは暖かい白熱灯に包まれていた。
「善透様、花火まで時間がありますし、屋台見ながらぶらぶらしましょう」
「とりあえず焼きそば」
善透はひどく不機嫌であったが、サビ丸はいつものお馴染みのふにゃふにゃした喜色満面で、了解しました、と快諾した。善透はその顔色を横目で見る。疲れた。ひっそりと心の中で嘆いた。
善透は綿麻の浴衣を着ていた。紺と白のすっきりとした彩色に、しじら織りで仕上げられている。見かけだけでなく着用しても涼しいものであるが、慣れない物を身に纏うのは体力を削る。本意で着衣したのではない。善透は断固拒否した。されどサビ丸に無理やり押さえつけられ、身ぐるみを剥がされ、気付いたときにはばっちり浴衣姿だったのである。そんな彼とは異なり、慣れ親しんでいたのか、善透と同じ衣装にもかかわらず、サビ丸の足取りは軽い。
「塩ですか?ソースですか?」
「ソース」
「じゃあサビは塩にします。飽きたら交換しましょうよ」
「この歳で、そのうえ男同士で間接接吻はやめろ」
サビ丸は聞いているのかいないのか、焼きそばと書かれた屋台に近付いていく。ソースと塩を指差し、なにやら店の主人と話している。間違いない、彼はまったく聞いていない。
善透は隣接しあう屋台の脇から列を離れ、やや暗い場所でその姿を見守った。人が賑わう場所で立ち止まるのは好ましい行為ではないと思ったからだ。サビ丸はというと、人懐っこい性格ゆえか、未だ店主と楽しそうな表情を浮かべ談話している。連れの存在を忘れているように感じる。
長いおしゃべりは終わる気配がない。善透のフラストレーションがたまっていく。待ち惚けを食らっている気分に飲み込まれていると、つい、と誰かに袖を引っ張られる。条件反射で振り返った。
「ちぃーっす」
「お久しぶりやんね」
「お、お前ら……」
自然な振る舞いで、甚平姿のキジトラとハチワレが立っていた。キジトラは白地の絣柄、ハチワレは黒の越後織りであった。善透とは違い、二人とも似合っている。昔から愛着していたと予想される。
「いやー奇遇っすね!花火大会やるっていうもんだから旅行がてらこっちにきたんすよー」
「ついでにサビこでもからかおうと思ってまして」
「俺を巻き込むのだけはやめろ!」
サビ丸をからかうということは善透を使っておちょくるということと同意語であると以前のやり取りで充分理解していたため、とばっちりを受けるのは御免だとクギを刺す。
「そういえば、サビこも一緒に来とるん?」
ハチワレが問う。それに善透は肯定する。お使いから帰ってきていないが。
「あ、じゃあせっかく都会にきたことだし、善透様が案内してよ!」
こんな人の多いとこに慣れていないんで、さっぱりした笑顔でひやっとすることをキジトラが言う。
「いや、サビ丸もいるし……」
もちろん善透の本音は関わりたくない、だ。この二人より若干、一馬身ぐらいマシなサビ丸を口実に断ろうとした。
「サビこなんてあとでどーにかなるって!いっきましょー!」
キジトラは強く善透の腕を引っ張る。その拍子に大きく体のバランスが崩れてよろけたが、流れる動作でキジトラは善透を抱えた。いわゆるお姫様だっこの状態である。
「は?え?」
善透が状況を把握するより前にふわりと体が宙に浮いた。
「あっちに花火がよく見えそうな場所発見したんすよー!」
着崩れる、そう判断した善透はおなごの如く浴衣の合わせを押さえた。
「ちょ、お前らっ!案内じゃねえのかよおぉぉ!」
問題はそこではなのだが、悪態をつかずにはいられなかった。

しばらくしてやっと善透がいないことに気付いたサビ丸は、両手に焼きそばを持ち立ち尽くしていた。
「善透様が……誘拐!」
サビ丸にしてはあながち間違ってはいない解釈であった。


「ここからなら花火よく見えそうっすよー」
そう離れてはいない小丘の、そう大きくはない木の上に三人はいる。善透を抱えているキジトラは頼りない細めの枝の上に乗っていた。一方ハチワレは二人よりも下方の大きい枝の上、幹を背に寛いでいる。キジトラとハチワレは余裕しゃくしゃくの態度だ。お庭番候補として鍛えてきた経験で培われてきたものだろう。
狼狽している善透は強くキジトラの甚平を掴んでいた。ついでに迫力のある瞳でねめつける。
「野生児っ!落ちたら死ぬだろ!しかも普通はこんなとこで花火は見ない!」
「たまには違う場所から見ると風流なんよ」
「しっかり掴んでれば落ちませんってー」
いや絶対落ちるし、みしみし言ってるし。趣とか平安時代の麻呂に任せりゃいいし。善透はやっぱり田舎育ちとは話が通じないと心底呆れ果てた。言語はかろうじて共通、しかれども常識は彼らの住む世界とは異なるよう。
「あ、そろそろ花火始まるけぇ」
その声に俯き加減の、善透の顔が夜空へと振り仰ぐ。
どん、と腹を抉るような轟音に、遅れて鮮やかなネオンが瑠璃色の天井に舞った。
「たーまやー!」
上機嫌でキジトラは叫ぶ。一方、善透にとってはこれっぽっちも綺麗だと感じなかった。この不安定な状態のせいだと責任転換することにした。
「こっちってよく花火大会やりますよね。都会ってのもいいもんですなあ、こんな綺麗なものたくさん見れて」
「俺はそんな心境になれないぞ……」
また一つ花が散り、重低音が腹に響いた。
 ぐらり、その瞬間視界が揺れる。そしてついでといわんばかりに、ぽき、と何かが折れる音がした。

「まっ……!」
「おっ」
咄嗟の出来事で、善透は緩んでいた手を離してしまう。
重力に従って善透の体は地面へと落ちていく。
まさかのまさか、あの脆い樹枝がちぎれたのだ。

「末代まで呪ってやるからなあああぁぁぁ!」
怨念を込めた呪を善透はキジトラに放った。ような気がした。
何か掴むもの……、落下する中、そうは思っても枝を掴もうとする手はかすりもしない。
「善透様っ!」
誰の声だろうか、確認する暇もなく体は強く誰かに抱き締められ、重い衝撃が走った。
「ご無事ですか!?」
きつく瞑っていた目を開けると、見慣れたお庭番の顔が近くにあった。
「顔ちけえ!」
本能のまま繰り出した右ストレートがサビ丸の顔面に入った。すばらしく、華麗に、モロに入った。ぐふっと低く呻くサビ丸、されど抱き締める腕は緩まなかった。
「キジ!ハチ!お前ら善透様になにしてんだっ!」
「まーまー!助けようとは思ったんだぜ?でもサビこが来るの見えたからさー……」
キジトラは折れた場所から離れた場所、頑丈そうな枝に逆さまにぶら下がっている。ちゃっかりしたやつめ、善透は忌々しい思いを込めて刺すような視線を放つ。
「まあ楽しんだし、俺達は帰るけぇ」
「また遊びに来ますねー!んじゃなー」
「お前らあっ!覚えとけよ!」
「……それはサビの台詞です」
中指を立てたくなるのをぐっと堪え、善透は叫んだ。
サビ丸は善透を抱きなおすと木の根付近に寄りかかり、ゆっくりと座った。
その一連の自然な流れで善透はすぐには気付かなかったが、これは非常に恥ずかしい体勢である。しかし、周辺は森閑としているゆえに、大袈裟に抵抗できる雰囲気ではなかった。
「お、降ろせよ」
もじもじと恥らう乙女のように膝を摩り合わせる。むしろ逆にサビ丸は力強く善透の背を抱いた。
「花火終わっちゃいましたね……」
残念です、そう呟く声は小さい。
「今年も変わりなくゴレンジャーみたいな花火だったぞ」
先ほどのごたごたで善透は短い間しか見ていなかったが、感想を述べる。
「善透様とゆっくり見たかったです」
「来年もあるだろ」
「今年がよかったのです」
なぜベストを尽くさないのか、ではなく、なぜ慰めなくてはならないのか、善透は苛々した気持ちを抑え、サビ丸の髪を優しく撫でた。
「お前、俺を守るんだろ。……一生かけて」
「もちろんです」
善透の想定内であったが、気持ち悪いほど即答だった。せめてインスタントラーメンが出来る三分ぐらい躊躇して欲しかった。
「犬でも待てはできるぞ」
「え?」
「いや、なんでもない」
こほん、わざとらしい咳を一つ。心も仕切りなおした。サビ丸の疑問符を打ち消すように、その肩に顎を乗せる。
「一生なら……今年の分、来年も再来年も……ずっと、一緒に見に行けばいいじゃねーか」
「ずっとですか」
「約束はしないけどな」
ふ、とサビ丸の全身が震える。笑っているようだ。
「焼きそば、子供にあげちゃいましたし、善透様と来年こそは屋台の食べたいです」
そのとき遠くに見えた流れ星が瞬く間に消えていった。
今日が遠ざかり、来年に近付く。いつまで一緒にいるかはわからないが、サビ丸と見る花火は綺麗に違いないと善透は柄にもなく思った。きっと終わりはこないと信じて。





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