善透視点、いつもより善透が性格悪い。一貫性がない話でもよろしければ


探し物はなんですか


「卒業したら渋谷くんの第二ボタン欲しいって頼んでみようかなあ」
「なら私は藤くん!」
「う〜ん、うちはどっちもパス」
なら誰がいいのよ、井沢くんかなあ、まあかっこいいよねえ。
甘ったるい音が響く。熱い会話が永遠に続く。よくもまあそんな大声で話せるもんだ。渋々、善透はドアに触れていた手を引いた。
日誌を担任の先生に提出し、いざ帰ろうと鞄を取りに教室に戻るや廊下まで伝わる程のボリュームで女子達が話を繰り広げていたのである。内容が自身に関係ないものならともかく、ピンポイントで善透とサビ丸を名指しである故、知らぬ顔で今中へ入るのは精神衛生上芳しくない。
好意を持たれるのは悪くない。人間関係を潤滑に育む術が優れている意味でもあると善透は認識していた。ただ他人の好意を本人から直接ではなく間接的に知るのは避けたい。頭で整理するのがややこしくなる。
体を傾け、斜め後ろのサビ丸を見遣る。疑問符を付けた表情でこちらを窺っていた。この感じは理解していない、空気読めないし。善透はそっと溜め息を吐いた。ジャンヌダルクの如く、彼を導いてあげなければならない。どちらかというと、ジャンヌ、だるい、だか。
無言で階段を指し、やや忍び足で教室から離れる。男として、人としてやるべき使命、彼女らに気付かれずに去る任務を果たす。
「さすがに入れねえよなあ……」
口の中でもごもごと呟く。さて、どうしたもんか。止まらない談義を終結するにはわずかな時間が必要だ。暇を持て余すのは御免である。しばし解決案を見出すべく、脳内をフル回転させながら所々汚れが目立つ階段をゆっくりと降りる。まだ陽は昇っており、しかれども校内は静かであった。さっさと下校する生徒が多いだろう。運動場からは野球部やらサッカー部やらの掛け声が弱く聞こえる。自分とは反対に彼らは高校時代の青春を謳歌していた。
「あの、質問なんですけど」
横に並んだサビ丸は、未だ難しい顔つきである。さらさらとした金髪が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
「第二ボタンって……、何ですか?」
何ですかと言われても。率直な問いの解答は何通りもある。
「何って、ボタンはボタンだ」
「それは分かるんですけど」
善透自らもサビ丸がどういった意味を込めて質問したのか分かってはいたが、わざとはぐらかそうとした。第二ボタンとは何のボタンか、どうしてそれを女子は欲するのか、サビ丸は知らないのだろう。絵に描いたようなあんな田舎だからこそ古くさい習慣はあると思っていたが、どうやら見当違いだったらしい。
「知りたきゃ自分で調べろ」
「知ってるなら教えてくれたっていいじゃないですか」
「お前のために言ってやる。まず自分で調べるのに意義がある!」
「ええー、善透様のドケチ!じゃあどうしても分からなかったら教えてくれます?」
「嫌だ」
「結局どうしたって教えてくれないじゃないですか」
愛だの恋だの、恋愛話をするのは恥ずかしい。ましてやサビ丸とだなんて、想像しただけで背筋が凍る。
何か言いた気なサビ丸を無視し、とりあえず教室に残してきた鞄をいつ取りに行くか、目的もなく歩きながら考えた。


三学期の終わり頃、サビ丸は死ぬ物狂いで勉強したお蔭で補習を逃れ、校内大掃除が始まった。ほぼ校務員がやる場所でも全生徒で学校を綺麗する、ちょっとしたイベントに近い。もちろんいつもどおりに自分達のクラスも掃除する。善透の組では加えて正面玄関と図書室の掃除が割り当てられていた。クラスメイトの誰かが作ったくじ引きで班に分けられ、ついでに場所も決められた。善透は図書室、サビ丸は教室に。サビ丸なら細工をしてでも善透と一緒の班になろうとするのではないかと疑っていたが、意外にもあっさりと納得していた。滅多にない別行動に少しの違和感を覚えた。
数人のクラスメイトと共に図書室の作業に取り掛かる。善透は棚の拭き掃除。寒さが抜け切れていない時期に雑巾を使うのは手に負担がかかる。冷たい。しかし黙々と棚を拭いていく。埃が面白いぐらい取れる。
「ねえ藤くん、そっちに踏み台ないよね?」
小柄な女子が数冊の本を抱え、こちらへやってくる。あまり使われなさそうな専門学書の類である。分厚さだけは一流だ。進学校とはいえそんな本を読む人は年に一人いるかいないかだと善透は推測した。ここに於いて存在価値は無であろう。
「見かけてないよ」
残念ながら善透の周りにはステップはない。正直に伝えた。
「そっかあ。ついでに返却の本片付けようかと思ったんだけど、上の棚で届かなくてさー。見かけたら声かけてくんない?」
「ああ、じゃあ俺がやるよ」
それなら出来る人がやればいい。善透は笑顔を添えて、本を奪うように持つ。結構重い。長時間抱えていたらきっと腕が痺れてしまう。しばらく彼女は呆然とした後、我に返ったらしく、首をぶんぶん振った。
「え、いや、悪いし!」
「気にしなくていいよ。どこに戻すの?」
「ああ、もう……。あ、あっち」
ごめんとありがとうを交互に繰り返す彼女を諌めて、目当ての棚へ移動した。上の段にぽっかりと空いた部分がある。彼女にしては高いが、善透にはかかとを離さずにぎりぎり届く範囲だ。元に戻そうとして、腕がよろめく。片手に重さがのしかかる。一応これでも力は平均的な男子ぐらいはある。
「藤くんってほんと優しいよね」
いきなり彼女は囁きに近い呟きを漏らす。それは恋焦がれる女性の台詞ではなく感想を述べる感じであった。
「普通だよ。困ってたら助けるって」
勘違いをしている。猫被りしている部分が大半だ。けれど誤解だと主張はしない。さらに嘘も付け加える。彼女は普通にさらっとできないよ、と否定した。素の自分に接したことはないくせに、少々誇張した発言を胸にしまう。彼女に対し怒っていないし、壁も作っていないが、善透の提供する優しさは性格からくるものではない。長年培った穏便に学生生活を進める処世術である。他人に優しくするのに感情はなく、自分が有利な立場に導くだけである。
「あのー良い機会だし、変なこと聞くんだけど……」
律儀に善透の作業を眺めていた彼女がもじもじと忙しなく小刻みに揺れる。さらさらとした黒髪も揺れる。全然違う、決して似ても似つかないその姿が迷惑なお庭番を沸騰させた。傷んでいるはずの金髪のほうがとても綺麗だったと思った。数秒沈黙が支配した後、藤くんって好きな子いるのと続けられた。
「好きな……?え、うわ」
手が滑り、ごつんと頭から戻そうとしていた本が降ってきた。その衝撃で抱えていた本も一緒に落下する。突然の言葉に動揺してしまった故の結果であった。
「藤くん大丈夫!?」
「……ん、大丈夫だよ」
苦笑混じりに頭を擦る。本当に変なことを聞いてきたものだ。
日本一分厚い漫画雑誌と言われていたガンガンにも負けず本の破壊力は強く、実はものすごく痛い。でも本音を言うわけにもいかず、ポーカーフェイスで落ちた本を拾おうとした。
「あ、ちょっと待って。汚れてる」
ぽんと彼女は優しく善透のブレザーを叩く。細長い指が単調なリズムを刻んだ。確かにブレザーは薄く白くなっていた。チョークでもないのに。古くから使われている物はどうしても見えない汚れが出てきてしまうらしい。簡単に制服の替えを買うのが難しい善透にとって際立つ跡が付くのは避けたい。自分でも叩くべきだが、彼女から善透は甘やかされている気がして居心地が悪く動けずにいた。
「あれ?」
彼女が止まる。大きな瞳の視線は善透のブレザーのボタンに投げかけられている。
「このボタンどうしたの?」
指差す先は第二ボタン。
「これ、ただの金のボタンだよ」
校章が入ったボタンを普通は使用するが、よく見ればどこにでも売ってるような金色のボタンだった。偽者の鈍い光を放っている。
「本当だ……気付かなかった」
「ええ?藤くんが変えたんじゃないの?」
「うん」
素直に答えて、しまったかなと考えた。自分じゃないなら誰がやったのか、まして妖精などいるわけでもなし、摩訶不思議で済ませられない。
「それなら藤くんのお母さんかな?取れてたのを付けてくれたのかも。ボタン間違ってるけどね」
天然なんだねえ、彼女は可笑しそうに笑った。
「……うん、そうかも」
彼女は善透に母親がいないのを知らない。彼女だけでなく、クラスメイトのほぼ全員が知らない。それに託けて亡き女性のせいにした。もう存在しない人をいるように振舞うのはまだ少しだけ苦手だった。


放課後になり、日課になるサビ丸との下校。一学期の通い始め、善透は自転車通学であったが、最近は自転車を押して歩いている。行動の変化はサビ丸にある。二人で登下校する際、サビ丸は徒歩オンリーだ。自転車に乗ればと提案したことがあった。そして自転車がなくても善透様に着いて行けますと答えられたことがあった。そのやり取りの後からなるべく使わなくなったのだ。断じて気を使っているのではない。何となくだ。
陽が沈むには程遠い時間帯、晴天の下、珍しく二人の間には沈黙が流れている。カラカラと車輪の音が大きい。普段なら善透様、善透様とうるさい彼がぼんやりとしている。元気が取り柄と言っても過言ではないサビ丸がこの調子だと非常にむず痒い。
「何かあったのか?」
耐え切れず問う。
「えーっと……善透様、ごめんなさい」
「はあ?」
「いや、何でもないです」
サビ丸の顎に汗が垂れていく。本日は過ごしやすい気温になっているのに、だ。どう見ても冷や汗である。
突然覚えのない謝罪をもらっても、疑問が残るだけだ。サビ丸の煮え切らない態度に段々善透はいらつきを覚えた。強く出ればボロを出すかもしれないが、敢えてその件は置いておき、じゃああとで聞くから、と続けて切り出す。
「もしかして……お前がこのボタン変えたの?」
例のボタンを引っ張って指し示す善透に、びくりと盛大に体を揺らすサビ丸。
「ええっ!ばれちゃいましたか?!」
「ばれちゃってます。というか、ばれたら何か不都合でもあんのか?」
「え……いや、その」
彷徨わせるサビ丸の視線に、MK5、まじで切れる五秒前のフレーズが頭を過ぎる。嫌な予感しかしない。
「不都合がなけりゃこれ捨てても問題ないよな?」
「だっ、駄目です!いくらしたと思ってるんですか!最新式のちょっとお高めの発信機なんですよ!」
「ほー、発信機ねえ」
さーっとサビ丸の顔色が青くなる。単純な野郎で心底良かった。善透は自転車をきっちり停めた。深呼吸を一つ。さて、やるかと気合も注入。
「ボッシュートぉっ!!」
持てる力を行使し、ぶちっと第二ボタンを引きちぎる。次に高らかに大空に投げた。我ながら素晴らしいフォームである。
「ああああ!発信弐号機があああああっ!!」
「おい、弐号機ってことは三号機も四号機もあるってことか?ああ?」
サビ丸は青天井に吸い込まれていくボタンに縋る形で手を伸ばした。時既に遅し、願わくば大気圏を越えて宇宙の一部になりますように、善透はひっそりと祈る。
大袈裟なぐらい肩を落とす非常識に、善透はついでにチョップをかます。迷惑は呻いた。もう人名で呼ぶ必要がないほどサビ丸の困ったちゃんには辟易している。
「あー、全然気付かなかったぜ。お前いつ変えたんだよ」
たまや、たまや。消えた方向には煌く太陽が存在していた。
「すみません、禁則事項です……」
「プライバシーを侵害する奴がプライバシーを守ろうとするなっ!」
どこまでも隠そうとするお庭番にとりあえず制裁の鉄拳もお見舞いしといたのだった。


さて、場所は変わって家である。サビ丸は夕飯の準備に、善透は市場のチェックに取り掛かる。
パソコンを起動し、インターネットへ接続する。最初に出てきた検索サイトのニュースをいくらか読み、お気に入りから株式の公式ページに飛ぶ。ログインして現在の動きを見る。小額だが利益が出ている。一先ず安心。生活費は確保できる。
そういえば昨日面白いサイト見つけたんだっけなあ。再度観賞したい衝動に駆られた。ブックマークに入れてなかったので、履歴から確認する。
カチカチとマウスを動かす手が停止する。あれ。記憶にない検索結果がある。パソコンを使うのはもっぱら善透だけなので、おかしいと思いつつクリックをする。
出てきたサイト、第二ボタンの意味と題したホームページに変わる。卒業式の日、好意を寄せている男性に制服の第二ボタンを強請る。一番心臓に近いから、ハートをゲットする、お守りにすると恋が叶う。エトセトラ。ずらりと書かれている説明を軽く流しながら読む。
勝手にサビ丸が検索したのだろう。なんだ、もう知っているのか。落胆よりか安堵した。つまり、善透はもう問われないし、教えなくても良い、急き立てられる甘酸っぱい心情に追い詰められる心配はないのだ。
しかし、善透はふと、本物の第二ボタンはまだサビ丸が持っているのだろうかと考えた。そして瞬時に熱が顔へ集まる。サビ丸がボタンを持っているかもしれない予想に。まさか、まさか彼なら主人の断りなしに捨てたりはしないという自信があった。
「善透様―!ご飯できましたよー!」
暢気なよく通る声が鼓膜を刺激する。声は同居人、さらに渦中の人である。
本日のメインディッシュは伊勢海老の生ハム巻きに帆立のムニエル。見事な魚料理だ。豪華に盛り付けられた皿をサビ丸は両手で運び、ちゃぶ台に乗せる。まるで訓練された執事のごとく静かに、華麗に置く。
上がる湯気と食欲をそそる匂いが部屋に充満し、反比例して気分が徐に下がっていく。飯はこんなにも美味しそうなのに、善透のもやもやは募っていくばかりだ。
「お前、昨日パソコン使っただろ?」
不意に出る。咎めると不穏空気が漂った。
「あー、はい、使いました……」
すみません、サビ丸はばつが悪そうに項垂れる。数時間前みたく謝罪をもらいたいのではなく事実を知りたかった。自身を崖っぷちにする諸刃の剣であるが、百パーセントに近い憶測を確信にしたかったのだ。
「もういい、もういいけどよ」
ノートパソコンの蓋を閉じる。長い溜め息を吐いた。善透の悩みはお庭番がいる限り尽きない。きっと今後も増えていくだろう。それならせめてものお返しにこいつを困らせてやろうと静かに口を開いた。
「心臓に近いから第二ボタンらしいけどさ」
「そ、そうですね」
「ブレザーだと第二ボタンってあんま意味ねえと思うんだけど」
「え、はい……え?」
徐々に赤く染まってくサビ丸の顔を善透は哀れな目で見つめた。なんて顔をしやがるんだ。何で自分はこんなことを言ってしまったんだ。心の内で叱責する。
今度畳の下にあるサビ丸の部屋を隈なく探してみよう。なぜなら発信機に変える前のボタンはどうした、なんて聞けるはずがないからだ。逆にこっちが冷静でいられなくなる。そんなのは一切合切御免なのだ。




以上、自信満々な善透様でお送りしました。
私の記憶では制服のボタンって校章が入ってたような気がするんですけどどうなんしょ。あとガンガンって昔日本一分厚い漫画雑誌っていう謳い文句だったのを思い出しましたが、あれ持って帰るの微妙にめんどいよね。あと第二ボタンって卒業式のときじゃなくてもいいんでしょうか。と疑問が絶えないです。