君の頬へ最後のキスを 三番目

日曜のミサが終わって自宅へ帰ってきたニールはまずマイケルを探した。
なぜ彼を探す経緯になったのか、それは習慣になっていた出迎えの挨拶がなかったからだ。
ニールが帰るとただいまを言う前におかえりと喜んで玄関へやってくるマイケルが今日はいない。調子が狂うなと少し不安になってキッチン、リビングルーム、ベランダを行き来するがどれを覗いても無人で彼は見当たらなかった。
しんとした部屋に月明かりが入ってくる。カーテンが波打つ。窓の外にはたなびく雲と星屑が散り幼児の落書きじみていて、同時にこれまでの規則がぐちゃぐちゃになったのだと知らされる瞬間であった。
マイケルとの同居はかれこれ三ヶ月を過ぎようとしている。良好な関係で二人は喧嘩らしい喧嘩もしたことはない。家出もない。それ故、いつもニールと教会へ行くか部屋でのんびりしているマイケルがどこかに出かけるのは珍しかった。
書き置きぐらいしていけよと鬱積した思いを抱えつつソファーに座った矢先に、背後からにゅっと腕が伸びてきてニールの首に絡む。
純白の袖と骨張った手。肌は月影で青みがかっていて、なんだか怖い。誰かなんて分かっているから確かめたりしないけれど腕を軽く叩いて伝わる焦燥を和らげるとさらに強く巻き付いてきて、ニールを覆う、温かくて冷たいような、妙な感覚が彼はやはり天使なのだと再認識させる。
「おかえり、ニール」
「……マイケル、びっくりさせんなって」
「うん。いきなりごめん」
謝って、何かに縋るみたいにニールの肩へ顔を埋めるマイケルが寂しがり屋の大型犬っぽくて、その頭を撫でる。
「どうした?元気ねえぞ」
「ああ。うん。……ちゃんと仕事してこいって上に怒られた」
「気の毒だな」
「貴方の労りを要求する」
「オレサマのは高くつくぜ?」
天界に帰っていたのか。しかも怒られたと。普段の行いを振り返って、慰めを期待しているマイケルをちょっと責める。
「まあお前さん料理も裁縫も掃除もやったりやらなかったりだしな」
「交代制だろ、そこは」
ふ、と笑ったマイケルの髪がむず痒い。ニールは指で梳かすのを止めデコピンを喰らわす。痛いと愚痴ってニールの頬を抓る。
そうしてやっと元気が出たらしく、ニールから離れた彼もまたソファーに腰を下ろす。
静かな空間はさっきとは異なって穏やかだ。人工の灯はないため暗い部屋でニールとマイケルは朝を待つ。
夜が加速していく中、しばしマイケルは宙を凝視して何かを考えた末、睫を伏せた。
「ニールって、例えばどういう時嬉しいって思うんだ?」
幸せになる手助けをしてくれると彼は約束した。ニールがそうじゃない方向へ進んだらと気掛かりなのであろう。
「あー、難しい質問だな。ありすぎて分からねえ」
「……じゃあ僕にして欲しいことは?」
それもありすぎて決められないが、現在心臓が抉るほどの苦しみを経験したニールは一つの提案をする。
「悪いが逆に嫌なことならある。マイケル、あのなあ、出来れば何も言わねえで急にいなくなるな。……帰ってきたらお前さんがいなくてちいっとばかし心配しただろーが」
「ニールが心配?僕を?」
「するさ。お子様を見守る親みたいにな」
家事全般を頑張ってくれ、にはしなかった。味気ないし本当の希望がそこにはない。
いつかマイケルは神の住む場所へ戻る。覚悟はしているつもりである。しかし黙って出ていかれるよりも一言でもあれば大分観念できるものだ。歓迎はしないが、とそこまで熟慮してニールは臆病な本音を屈服させるために仏頂面で溜め息を吐いた。
俯いたマイケルはわずかに頷くと、ナイトシャツの裾を掴んで、これからは報告ぐらいする、とくぐもった声で宣言した。




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