天の川が空を彩り、月が黄金色に嘲う。夜行性の虫が青へ羽ばたく。
圧巻の展覧会だが綺麗に映る大きな悠久の壁が眩しくてかえって寂しく、きらきらしたものを全て掃除してごみ箱へ捨ててしまいたいぐらいだ。こんな愚かな考えも失くしたいのにと辛い魔法がかかり、目が潤んでいった。
パーティーは仕舞い、テラスで侘しい時が更ける。とうとうニールへプレゼントをあげることも祝辞を述べることもなく日を跨いだ。ハプニングは往々にして計画していたシナリオを崩す。情けなくてマイケルは残酷な締めくくりに歯軋りをしたくなった。
ニールも誕生日というイベントを忘れてしまっている模様で、そもそも始めから自覚していたのか怪しいが、マイケルの徒労に終わったのである。
疲れていた。くだらない結果にありったけの活力が絞り取られていた。
はあ、と息を吐いても遥か彼方へ悩みが吹き飛んでいくことはなく深い闇が蠢くのみだ。冬はどこまで居座るつもりなのか、寒くてかじかむ指が麻痺していく。袖を直してぬくみを追うとわずかにマシになった。
ほどなくして雲が月を覆い、一陣の風が頬を撫でる頃、人の気配がテラスへ宿る。草は揺れ、髪がくすぐり、服が凪いだ。
「よお、マイケル」
調べは柔らかだったが、それに比例してマイケルはひねくれていく。会いたくないが本音だ。
やむを得ず彼を見る。やけにさっぱりしたニールは燕尾服を脱ぎナイトシャツに変わっていて、いつもの執事ではなくニールという男であった。ナイトシャツを着ているだけなのに主従だった二人に隔たりができているように窺える。隣りに並んだ際の、狭い幅の数センチに溝が潜んでいて、どん底にマイケルはヘソを曲げる。
平然としているニールは憎いが放っておけない質だから来たのかとマイケルは汲む。
「どうしたんだ、元気ないぞ?」
ニールのせいなのに、なんて減らず口は叩かないが唇は尖る。
もちろん件の元凶はオーガストだが、マイケルのもやもやした渦はニールが作ったものだ。説明もなしにオーガストを連れ去ったことやニールが己の誕生日に無頓着なこと、どちらもマイケルが不機嫌になった要素で、加えてニールの包みこもうとする優しさも煩わしい。たやすくマイケルの内面に蚕食できるニールだからこそ、今回ばかりは撥ねつけたい。
「まあ、お前さんにはきつかったかもな」
勘違いしたニールがそっとガウンを肩に掛けてくれる。彼なりに慰めているのだろう。
毒づくことをさせない雰囲気もあって緩やかに俯いた。靴がくずを乗せて小さい脆弱なマイケルを嘆いている。
そして、瞼の裏で記憶が蘇る。無秩序の部屋で行われていた嵐のような悪夢が鳥肌を立たせ肺を焦がし、フラッシュバックした光景は脳の奥で炸裂した。
「……オーガスト神父は?」
ためらいがちに尋ねる。あのあとマイケルを置いてニールはオーガストを連れて消え去ってしまったので細かいことは知らない。
「さあな。あとは上に任せてあるんでね」
随分投げやりでマイケルの疑いが育つ。
「ニール、その上に任せるってどういう意味なんだ?さっきも……いきなり、命令って聞こえた。命令なんて、僕はそんなこと言った覚えがない」
オーガストについて主人として命令したことは何もない。捕まえろなぞ処理を下したのはどこのどいつだとはらはらした気持ちを抑えてニールを睨み据える。
「そのことなんだが……悪い、マイケル。正直に言うとお前さんを騙してた」
騙していた。ぐるぐると言葉が駆け巡り、鈍器で殴られたような衝撃を眉を寄せて堪える。
躯幹が軋んでいた。徐々に抜け殻になっていく。騙されていたということに信じられないものと、すっと腑に落ちるものがあり腫れた心が痛かった。ニールといくつかの年月を過ごしてきたから彼の人となりを信じたかったが、嘘ならオーガストと対峙した折の不可解な行いに納得するのだ。
反して、余裕な態度で腕を摩りながら昔話を懐かしむみたいにニールは静かに告げる。
「オーガスト神父が聖職にあるまじき行動をしてるって一部で噂になっててな。まあ、所詮噂で済めば良かったんだがたまたま不審な出来事もあって、教会でも問題になった。で、オーガスト神父を信じてたある人がその噂を聞いて、濡れ衣だ、そこまで言うのなら彼を監視すればいいって直訴したらしくてな。俺は教会の牧師だからお偉いさんに頼まれて……断る訳にもいかなくて、オーガスト神父を見張ってた。本当は牧師も辞めてない。ああ、命令ってのもお前さんじゃなくて教会の人間からさ」
そうか、と悟りきった振りで頷いたら格好が付いたのかもしれないがマイケルには憤慨しか起こらなかった。
もがく術がない虫が月へにじりよる。紺碧の空がもどかしさを教え、金平糖の虚しい輝きが報われないマイケルを照らす。
「なら、また牧師に戻るのか?」
「そのつもりだな。……マイケル、怒ってるか?」
「もちろん怒ってるさ」
まんまと騙されて、嘘をつかれて、利用されていたこと。つまり執事はお芝居だったと打ち明けられたのだ。
朝は紅茶を淹れて昼は事務作業を手伝い、夜は慈しみのキスを与えてくれた。枯れた花に水を恵み、誰かといる喜びを咲かせてくれた。その癒されていた時間は儚く嘘の上で成り立っていたので、開封された真実があまりにも苦しい。
それでも案の定、ニールを完璧に嫌うことができないマイケルがいる。
「お前さんには悪いことをしたって思ってるし許されることじゃないって分かってる。でもお前さんのところに世話になったのはオーガスト神父がマイケルに何かするんじゃないかって心配してからだぜ。お前さんには変に執着してたみたいだったからな」
「助けにきてくれて感謝はしてる。けど、僕は……僕は、貴方といて楽しかった。それが嘘だって言われたらやっぱり落ち込むだろ」
「おいおい、楽しくないなんて誰が言ったんだ?俺もお前さんといて充実した毎日を送れたさ」
「簡単に手放すくせに?」
「かわいげがないな。一応、俺の場所ってもんがあるんだよ」
肩を竦め、マイケルをあやす。そうやっていちいち子供扱いをして、宥めて、そっけなくする。
許しがたいけれど、もう大人の域へ入り出したマイケルには分かっていた。
こうしてマイケルの元にきて秘密をばらしてくれたのには、半端な配慮と冷厳さには罪悪感があるんだと。
「いつだってニールにはニールでいて欲しい。だから、僕は貴方を許す」
にっちもさっちもどうにもならないなら悲しみを殺して転がる未来を掴む。
チェスでいうとチェックメイト、映画でいうとクライマックス、そこまできていて、一駒進んで詰めたら頭の中に幸せを描いて向こうみずの台詞で試してみる。
「誕生日おめでとう、ニール。今年は遅れたから来年こそはちゃんと祝うって約束させてくれ。それと、遠くにいてもたまには会いに来るんだろ?」
ポケットに隠していたプレゼントを贈る。格子縞の緑と白の袋で包装されたそれは彼の掌へ辿り収まった。
ぎゅ、と拳を握り、瞳を凝らす。朧げに屈折するニールが驚きに染まる。
「ここで、貴方を待ってるから」
ありのままで単純な答えだ。
どこかで優しいニールを誇りにしていたから、きっと側にいてくれると思って饒舌な言い訳を帳消しにした。ふっ切れたマイケルにとってそれが最大級の譲歩だった。
「……あー、はいはい、ご主人様のおっしゃるとーりです」
ニールは星を仰ぐ。さすらう点が走る。願い事を三回唱える暇はなくても、急降下した星はマイケルとニールへ行き着くだろう。
抱きしめたくて、彼の胸に撓垂れる。タバコのケースが邪魔であるけれど、かびのようにいつのまにか生えていた赤い熱がニールの体にもあって嬉しくなる。
甘いキスをねだるべく背伸びをし、エキゾチックな顔に近付けたら、マイケルはふわりと笑ったのだった。


いつか修正します

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