パーティーの当日である。珠玉のシャンデリアが会場に来た人々を照らしていた。淑女はダイヤモンドを首に飾り、香水が熱れ、華やかなドレスを身に、シャンパンを飲む。紳士は仕立ての良いタキシード姿で歓談している。もちろんマイケルも礼服だ。ニールが用意してくれたそれは計られてもいないのにサイズはぴったりだった。不思議なところで勘がいい。いや、もしかしたら普段のスキンシップでおおよそのサイズを知っていたのかもしれない。馴れ馴れしく頭を撫でたり、抱きついたり、エトセトラ。猫のじゃれあいだと大概許してしまっているが、彼の戯れは度を超すこともあった。されど本当に嫌がるまではしなかったからウエスト等はほぼ推測なのだろう。はたまたマイケルの服を拝借したのか。実にありえる。ニールは洗濯等の担当はしないが、どこのクローゼットに何が入っているかは確認していた。とどのつまり、ニールは周到な奴だった。こんな細かいところまで。
閑話休題。賑やかな男女の声がフロアにさすらう。豊富なバイキングに皆、感嘆符を放つ。ボーイが忙しなく料理を運ぶ。マイケルは主役にも関わらず銘々が浮かれているのをただ見遣るだけだった。暴れるなんて無粋な真似をする者はいない。平和である。
隣ではセシルがパーティーの雰囲気に怯みながらもはにかむと、緑の黒髪が揺らいだ。セシルもまたタキシードを着ている。リボンタイに、少し大きめで袖が指の付け根まであり、不自然でおかしくて、背伸びをしているようでほっとした。しゃかりきになって仕事をこなすマイケルはセシルの年相応の構えに同じものを汲み取る。
「なんか、試験より緊張しちゃうかも。でも今日は頑張るからよろしくね」
スローバラードを歌う予定らしい。練習も沢山したそうだ。しかもオーガストに言われたからではなく自主的に行ったとのこと。そこまでかと脱帽すれば、親友のためならね、といじらしいセシルにマイケルは深く感謝したのだった。
フォークが魚を貫いて胃袋に納められる。淡白ながらおいしいと綻びる。シェフの力は偉大だ。セシルも等しく味わっていた。
「そういえばマイケルってあんまりパーティー好きじゃないのに主催までして……途中で抜け出して僕に会いに来た時もあったぐらいだよね。珍しい、何かあったの?」
「ああ、いや、なんとなく」
「なんとなくでやるなんて君らしくない」
咳をする。鋭い目がマイケルを咎める。のらりくらりと躱すこともできず、降参のポーズを示した。
「……誰にも言わないって約束して欲しい」
「もちろん言わないよ」
「あのさ、今日、僕の執事のニールが、その……誕生日なんだ。だからお祝いしたくて」
セシルがフリーズする。
「すごい盛大だね……」
「おかしいだろ?」
首を振った。
「ううん、素敵だよ」
あっさりしたトーン。なぜだかその応えに泣きたくなった。独りよがりの催しが祝福を浴びているようだった。だって、ニールは喜んでくれるのか分からない。酔っているだけのマイケルのやり方に一蹴するぎりぎりの線だと判ずる。それでも溢れんばかりのおめでとうをニールへあげたかった。大切な人の生まれた日だったから。
「さてと。僕も準備しなくちゃ」
葡萄ジュースが注がれたグラスをセシルはボーイに渡す。もうすぐショータイムだ。簡易のステージへ向かう彼にいってらっしゃいと送った。楽しみにしてるとも加えた。
巣立ったセシルを一瞥してぽつんと佇んでいたマイケルは、きょろきょろとニールを探し始めた。宴の本命はどこだろうと。
腕時計の針は九を指している。まだ余裕はあるが、パーティーが閉幕するまでにプレゼントを届けたい。驚かせたい。どきどきして、恋をしているみたいだった。
瞬きを数回分、めぐらす。彼はしょっちゅうタバコを喫しているから、テラスで吹かしていたりするんじゃないか。
窓に近づこうとすると、ふと、視界の端に場違いなカソックを捉える。闇のような黒い塊、黒い顔、黒い彼。――オーガスト。導かれた名がマイケルをどんよりと蝕む。面会をした際オーガストは不参加だと聞いていた。まさか来ていたのか。パーティーに不釣り合いな彼。ざわめく心臓がアラームを告げる。関わっては泥沼にはまると。
怖いが、そうであっても、怖いままじゃ駄目だ。逸するのは、もっと駄目だ。
狼狽に構わず、マイケルは足を踏み出してその影を追ったのだった。


くすんだ廊下を忍びながら歩く。オーガストは迷いなく進むと客室の一つへ入った。自分の領域のようにまっすぐと。マイケルの家なのに、なんだってこんなところへ。もとより呼んでいない。文句がつらつらと頭の中に表れては蒸発する。静かに扉へ寄り添って耳をすますと布の擦れる音も息の吐く音も、何もない。誰かいるはずなのにと、幻や夢、今ある世界がわからなくなった。これはリアルだと保証を得るため拳を握る。爪が食い込んだら脈が走っていた。大丈夫だ、問題ない。
マイケルは不変の状況から脱却するのに重い扉をゆるゆると開けた。途端、嘘のように聴覚が復活し、チープな甲高い声と湿ったぐちゃりという音がマイケルの鼓膜を刺激した。ベッドの上にうごめく黒い獣、オーガストではないものが二つ、せめぎあっていた。蜃気楼のように乱れたそれらは快楽を貪っている。ひっきりなしに喘ぐ少年と脂ぎった中年の男性が頂へと目指して甚だしい行為を続ける。本でしか見ることのない性交。あれが現実で起こっている。本ではそこまでグロテスクなものではなかったのに、醜くてへどが出る。冷や汗がマイケルの皮膚を滴り、喉が引き攣った。吸い込まれてはいけない、逃げなければ。震えの残る膝を叱咤し、後退しようとすると。
「どうしたんだい?」
調子外れの問いがマイケルを襲うと背中の筋肉に、顧みて照合することは出来ないが、おそらく金属のような固い物が押し当てられる。動くなと囁かれずとも、がんじがらめにされるみたいに囚われた。
「ねえ、マイケル。こんなところでどうしたんだい?」
どうしたもこうしたもオーガストについてきただけだ。彼こそ、なぜマイケルの私邸にいるのか。
「セックスを生で見たのは初めてかい?……手が震えてるよ。それとも寒いのかい?」
「オーガスト神父、何で、こんな……」
やっと搾り出した言葉は尻込み、ペースが迷子になる。複雑にきつく絡まった糸がだまになって、ほつれなくて、泣きたくて、めちゃくちゃに壊れそうだった。
「金持ち相手に売春を斡旋するのが私のちょっとした趣味でね。ああ、純粋なマイケルでも売春って分かるよねえ?体売って金を貰うあれさ。趣味……って言えば聞こえが悪いか。まあ、私の楽しみなんだよ。君だって趣味ぐらいあるだろう?それと同じさ。私のは人に言いにくいだけで。一応秘密にしてたんだよ、マイケルを動揺させちゃうだろうってねえ。でも見られちゃったからにはもう秘密じゃない」
スコールの弁が立つ。
カチ、と何かを引くオーガスト。直感的に銃なのだろうとマイケルは考えた。考えたところですべきことは話を理解することだった。
マイケルの自由は凍りついて、それを溶かす炎がオーガストのみで、炎を振りかざすか没するかは彼によって左右される。所詮掌で踊らされているのだ。
「純粋な君を堕天させるのもいいけどねえ……」
「オーガスト……こんなこと、間違ってる」
「君が正誤を決めるのかい?」
裁く気はないが、おかしいのはオーガストだ。淫らで汚らわしくて下衆で欲にまみれた交わりを是とするのか。果てしなく非だ。
斜めにオーガストを窺う。明かりの乏しい部屋と彼の狙いは謎に潜っている。ただわきまえていることは、裁く権利はマイケルにない。ないからこそ、言ってやる。
「貴方は間違ってる」
「嫌がってない二人でも?」
ああ、と肯定すると、オーガストは笑った。
「マイケルのそういうところは、愛してるよ」
さよなら、そうオーガストは呟いた。別れの挨拶は渇いていて、縋るものはなかった。
赤い柘榴が弾けるのをマイケルは待つ。死はそこまできている。遅いメトロノームのテンポが最期だと了とする。
主よ、御許に近づかん。救いは薄い。まだやることがあるのに。パーティー、プレゼント、執事の誕生日、まだ済んでいない。終わっていない。ニールに、会いたい、会わなくては。
やがて小さい獣に白が塗られた。どろどろと流れる液。浅ましい、卑しい、汚い。剥き出した獣は汚くて醜い。少年は穢れている。少年は悦んでいる。狂った欠片が散らばっている。オーガストは喋らなかった。マイケルも喋れなかった。
しばらくの沈黙が連なったあと、ドン、と勢いをつけて重い扉が再び開き、灯が差す。二人の瞳が搗ち合う。クリアになった空間で、マイケルは晴れやかな波が芽生えた。
灯の形はニールだ。
「マイケルっ」
彼の節は切羽詰まっていたが、背からしっかりしたものが抜けて自由が叶えられる。
ほのかに苦い臭いがをつく。嗅ぎ慣れた彼のタバコの香りだった。
「オーガスト神父、マイケルから離れてください」
なぜか素直に距離を取るオーガストへマイケルは完全に振り返るといつもの彼だった。
神経を逆なでするような笑みと、底知れぬ眼がマイケルを眺めていた。でも、憂いがあるようなひどく悲しいもので。
遠くベッドの少年が諦めがましく喚いていて、豪雨の如く強かった。
「上からの命令でね……ラザラス神父も待ってます。ついてきてくれますか?」
ニールはオーガストの腕を掴んで引っ張る。傾いた体が弱々しい。
命令って何だ、上とは何だ。よく分からないが、マイケルも宙ぶらりんで曖昧なまま、ニールと相伴うだけだった。


いつか修正します

TOP