セシルが別人かも


しがみついた希望


カンテラの暖かい光が辺りを照らす。暗く冷たい夜に不釣り合いな色だ。頼りなく揺れる炎に安堵さえ生まれる。それだけでなく、静かな心地好さがあるのは共にいるもう一人の存在が大きいのだろう。
徐にマイケルは俯きがちの顔を上げた。
静まり返った図書館に向かい合って座っているのは不良として有名なニール・ローウェルだ。
彫りが深く野生味のある顔に影が落ちて、普段の態度と違いミステリアスな空気を漂わせている。実際、手帖を捲る彼は何やら思案しているらしく、マイケルを寄せ付けないオーラを発していた。
「そんなに見つめなさんな、いくら俺がハンサムだからって」
視線に気付いたのか、ニールはにやけ面でこちらを覗う。
いつもの自意識過剰である。
「別に、ハンサムだから見つめていた訳じゃない」
「お前さんは本当に素直じゃないなあ」
素直かどうかは無関係だと脳内で反論し、睨む。そんな自分に構わずニールは手帖を閉じる。どうやら考え事は止めたようだ。邪魔をしてしまったと思わずにはいられないが、話をしたいと願っていた部分もあるので、その諦めに甘えることにした。
「何か分かった事でもあったのか?」
「いーや、残念ながらまったく。これからに期待しといてくれ」
「頼りないな」
「オレサマほど頼りになる男はいないっての」
ほら、とニールは袖口から丸い塊を取り出す。
「飴いるか?」
、申し出に、受容も拒否も示さなかった。
子供扱いをされている事実に捻くれた心がどちらに偏ればいいか迷っていた。
「そう言やあ」
マイケルを余所に飴を机に置くニール。こつんとぶつかる音が響いた。
「お前さんと仲良いセシル、だったか。上級生にも人気あるんだな」
「セシル?」
小首を傾げる。なぜセシルの名前が挙がったのか、疑問が残った。
下級生を除いた学年からはあまり持て囃されることは少ないセシル。もしかしたら最近上級生の間でよく噂になっているのかもしれない。
「俺のお仲間達がセシルをお茶会に誘いたいんだとよ」
反して、予想の斜め上の展開に瞠目する。
「意外だな」
「だろ?」
「いや、違う。貴方のお仲間が茶会を開くのが」
セシルは外見はもちろん中身も清らかな性格をしているため人気はあると確信していたが、まさかニールと交遊がある不良達が茶会を開こうなど計画していることに驚いた。率直に、似合わない。
「まあちょっとした気まぐれってやつか。お前さんは茶会に誘われたりしないのか?」
「誘われないことはないけど」
誘われても会話を楽しむよりお菓子を頬張っている時間のほうが多いとは口に出せず、胸にしまい込んだ。
「ニールもやるのか?」
「今更俺はやんねえよ」
「……確かにそうだな。でも貴方がやるお茶会には興味あったかな」
「お茶会なんざやらなくったって手品も飴もいつでもどこでも披露してお前さんを楽しませてやるさ」
照れ臭い台詞を混ぜて肩を竦めるニールに、マイケルは歓喜を隠そうと放置されていた飴を口に入れ、舌に感じた刺激に眉を寄せる。案の定、ミントであった。
感情を欺くにはもってこいの味で、今回だけはその存在に感謝をした。


談話室のドアを閉めると下級生達の喧騒が少し落ち着いた。
伸びをして、座りっぱなしだった体をほぐす。凝っていた筋肉が和らいでいく。
夜の自由時間を久しぶりに親友とチェスを堪能した。勝者はセシル。接戦で良い試合であり、満足感で一杯だ。
「ねえ、マイケル」
一緒に退出したセシルが横に付く。
「君はニールと仲良かったよね?」
突然で、念を押すような物言いに姿勢を正す。
「……そうかな」
認めるのは抵抗があったので惚ける。
「どうかしたのか?」
問う。
「あのね、実は今日ニールと仲良い上級生からお茶会の招待状をもらったんだけど」
セシルはポケットから真っ白な封筒を取り出した。やや崩れた文字で書かれた宛て名と綺麗な百合の模様が施されている袋がミスマッチだ。
「お茶会か……」
既に知っていたと伝えるべきか悩んだ末、結局濁した。茶会だけに。
「でね、もし良ければ僕だけじゃなくて君もどうかって書いてあって」
「僕も?」
訝し気な瞳をセシルに向けると、彼はほのかに苦笑した。
「うん、もちろん乗り気じゃなかったらいいんだけどね」
「そもそも君こそ乗り気なのか?」
「どうだろ。半々かな。悪い人ではなさそうだし、わざわざ誘ってくれたし」
滅多にお茶会を開かない人から誘われたら、物珍しさな行動に興味を抱くのも無理はない。
「マイケルが行くなら行こうと思ってる。来週だってさ。どうする?」
マイケル次第、優しい声とは逆に責任感が重くのしかかる。
「どうするって、僕は……」
窓から空を仰ぐ。青い輝きを背に、雲が漂っている。そこに犬の遠吠えが鳴り渡った。
物悲しさが足元からはいずり回る。負けずに、拳を強く握った。
マイケルは続く言葉を放つ。そして、答えは月光に包まれた廊下に霧散した。


夜半、図書館へと赴いたマイケルはニールの正面へ腰を掛ける。軽い挨拶を交わし、細い息を吐く。ガウンを着ていても寒い。未だ春が訪れる気配はない。
「セシル、誘ったんだね」
ニールが一瞬眉を寄せ、数秒後には心得たように唇を歪めた。
「ああ、茶会か」
言い草が呆れ口調だ。
何となしに机に並べられていた数冊のポルノ雑誌を眺める。最近やっと慣れてきたそれらであるが、自慰のために求める気持ちは毛頭ない。
「ついでに僕も誘われてた」
「はあ?お前さんが!?」
青い澄み切った瞳が大きく開かれる。
「そんなに驚くことなのか?」
卑猥な表紙からニールへ顔を向ける。
「いやだってよ……あいつら、お前さんは誘う気ないって言ってたんだがなあ……で、行くのか?」
「お菓子は魅力的だなとは思ったけど」
「じゃあ行くのか!?」
勝手に一人で結論を下したニールはうなだれる。まだ何も言っていないのに随分突っ走っている。
「マイケル」
ニールは呼び掛けると一度何も変哲もない骨張った右手を見せつけ、次に固く閉じた。
「ほら、手出せよ」
言われた通りにおずおずと差し出す。小石サイズの物が手の平に置かれる感覚がした。
「またミント味?」
「持ち合わせがないんでね。次は違う味を仕入れといてやるさ。まあ貰える物はもらっとけって、ローウェル家の家訓にもあるしな」
飴をポケットにしまう。彼の家訓に従って貰うだけ貰っておく。
「他は?」
「……は?」
他とは、急な提示に悩む。
「他は何が欲しいんだ?チョコレートか?」
ますます頭がこんがらがる。
「話が着いていけないんだが」
ニールは不審がるマイケルを無視してふわふわした柔らかい金髪を掻き混ぜた。
誤魔化されている気がしたので、触るなと小さく呟く。
「行くな、茶会なんざ」
囁くような声と同時に、頭から温かい感触が消える。
縋るように離れていく腕を目で追う。
これではまるで寂しいと訴えているみたいだと、マイケルは自身に呆れ果てた。
「心配なんだよ」
「な……」
優しく微笑むニールに、心臓は早く鼓動を刻む。くらくらと脳が動く。
「心配されることなんて……」
「いーや、あるさ。お前さんは真面目な優等生なんだ、あいつらと反りが合わなくって楽しいお茶会が緊迫した雰囲気になったらと思うとな。これでも心配してんだよ」
「なんだよ、それ」
脱力感が一気になだれ込んできた。喧嘩すると思っているのか。不満を表情に乗せる。
「だから行くなよ」
ニールはふんぞり返って椅子にもたれた。理由が理由だけに、素直に頷けない。子供扱いとは違う、頑固者扱いだ。保護者を気取って忠告されても純粋な優しさなんかじゃない。
再び薄く息を吐いた時、カンテラの炎が消えかけ周囲が月明かりに染められた。
その拍子に、セシルとの会話が記憶に甦る。

来週だってさ。どうする?
セシルの問い。穏やかな口調だ。
麗しく、青白い光が視界を支配していた。星が煌めくのがスローモーションに映る。
どうするって、僕は……もちろん行かないよ。
あっさり否定する。
そんな判断を受けて、セシルは笑っていた。試されていたのかも分からない。不思議とおかしさが募ってマイケルも笑った。

とどのつまり、ニールに釘を刺される前に既に答えは決まっていた故、心配は余計であった。
だけども、世話を焼かれるのは悪くない。
「代わりに貴方がお茶会をしてくれるなら、行かないさ」
耳の裏が熱い。微熱が体を蝕む。
マイケルはどうせなら叶わないと信じていた願いを告げ、ささやかな望みに賭けてみた。
なるべく平常心を保ち、大したことはないと言い聞かせる。緊張が通じないようにと。
「夜の図書館でいいなら、な」
ニールは綺麗に片目を瞑る。様になっている。
マイケルは生唾を飲み込んだ。我慢出来ずに頬が緩む。
「……楽しみにしてる」
実現するか不確かな約束で、儚い夢だ。
でも、なんて簡単なんだろう。こんな些細なことで喜べる。幸せが訪れたのだ。
数時間もすれば朝がきて、真夜中の、秘密に溢れた二人だけの愛しい世界が終わる。
それでもこのまま眠るまでは間近に感じる温もりを大切にしたいと、誰でもない己に祈った。



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