記憶喪失パロです。


明日が明るい日だと誰が決めた



細い手がゆっくりと自分の頭を撫でる。暖かい感触がじんわりと広がり、この女性は限りない慈しみを与えてくれているのだと愛しさが込み上げてくる。されど果て無き情は心を豊にさせ嬉しいはずなのになぜかひどく悲しくなった。
もっと温もりが欲しい。もっと側にいて欲しい。二人の間に隔たりはない。近くにいるのにそう願って止まない。
迫りくる別れに行かないでと縋ろうとすると、やがて女性は手を離した。そして残酷にも背を向けてどこかへ歩き出す。
何で、どうして、続く疑問が霧散する。
いつもそうだ。小さな幸せを望めば帰ってくるのは絶望だけ。ただ彼女と共にと祈ってはいけないのか、資格すらないのか。
光り輝く空間の中へ女性は吸い込まれていく。同時に弱くなる感覚。安らぎが退いていった。

よしとおさま、よしとおさまっ。
誰かが名前を紡ぐ。必死な色を隠そうとせずただひたすらに。
うるさい。邪魔をしないでくれ。
今この女性を失ったら、自分が。
――俺はどうなるんだ。



「善透様!善透さまぁっ!」
ぐらぐらと揺さぶられ、意識がはっきりしていく。とても寂しくも懐かしい夢を見ていたのに反して現実は騒がしくおちおち穏やかに眠れもしないらしい。
目を薄く開けると青年というにはまだ早く少年と呼ぶには成長している男がこちらを見詰めていた。金髪に、よく観察しなくても端正な男だと分かる。
呆としばらく覗う。状況を掴む努力として保存されていた過去を探るが靄がかかった思考は不明瞭だ。
あれ、とおかしなことに、男、彼は肩を震わせ眉を顰めていた。加えて涙ぐんでいる。
漂う深刻な雰囲気に、冷や汗が背に流れる。尋常ではない様子だ。
次に横、上、下を確認する。彼の姿以外に視界に入ったのは真っ白な天井とカーテン、さらに自身が寝そべっているベッドだった。病院、不吉な単語が浮かぶ。逃げ出したい。なにはさておき体を起こそうとするが突き刺さる頭痛に体が硬直し、結局ふかふかのシーツへ沈んだままになった。
「んだよ……」
掠れた声に、やっと自分が正常な状態ではないと知る。
もしかして重い病に患っているという役なのか、演じるにしても御免だと拳を固く握る。
「善透様っ!ご無事ですか!どこか痛いところはありませんか!?ってやっぱり頭痛いですよね!申し訳ございません!サビがいながら善透様にお怪我をさせるなんて!」
「うるせえっつうの!近くで叫ぶな!」
動けず代わりに睨む。とにかくでかい。起きがけに脳にがんがん響く音量で叫ばれて苛々が募る。
しかし訴えをまるっきりシカトされ、男は寄ってきた。
ああ、うざい奴なんだな。すっと納得する。
早い内に男イコール迷惑な野郎、その言葉が辞書に登録されたのだった。
「善透様に万が一のことがあればサビは……サビは切腹する覚悟でございましたっ!」

突然ぐっときつく抱き締められる。素晴らしい、殺人級だ。お巡りさん、こいつです。凶悪殺人犯がここにいる。
むしろ頭より男の抱擁のほうが骨をきしきし鳴らしてやばいと、唾を吐く勢いで怒鳴る。
「いってえよ、お前!つうかさっきから何なんだよ、お前!」
「何って心配してたんです!当たり前です!主人を心配しないお庭番なんぞどこにいますか!」
「はあ?しゅじん?おにわんばん?」
「お庭番です!」
理解に苦しみ暑苦しい塊を力任せに押しやると綺麗な瞳からぽつりと一粒、水滴が零れた。
いかん、泣いている。焼き付いた光景に、呆気に取られる。
ここまで心配される筋合いがない。
「刺客にやられたのかと心臓が止まりましたぞ」
ようやくほっとした表情に変わり、落ち着きを取り戻す。
「あー……つうか俺どうしたんだ?」
「野球部のボールが善透様の脳天を直撃したんですよー」
軽い口調にかすかな懸念が沸き詳しく尋ねると、バッティング練習の場外ホームランがたまたま運悪く通り掛かった自分の頭を襲った、そういうことらしい。
「呪われてんのかよ……」
安倍晴明ですら式を使って逃げ出すレベルの災いを引き寄せる性質に、やはり頼りになる矢部彦麿に悪霊退散してもらうべきだろう。
「まあ善透様に大きな怪我も特になくて良かったです」
頬を緩める彼に長い息を吐く。実に呑気だ。平和主義で、昼行灯で、空気を読めない。だからこそ親切心を添えて事件は未解決だと己が伝えなければいけないようだ。
「誠に残念ながら大きな悩みが一つだけある」
「……はい?」
ふざけた幻想をぶち壊すつもりで真面目な顔を作り、男に向かって指を差す。
たっぷりと時間を掛けて焦らしたらこう告げるのだ。
「お前……誰?」
と。


続きます



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