※ちょっと下品なネタがあります。


いくつもの君に会えたような気がしただけ


「善透様、資金援助が止まってしまいました」
サビ丸は神妙な面持ちで畳に正座をしていた。その頬には冷や汗が伝っている。

本日も清く健やかな明日を送るため、パソコンで市場の動きを確認していた善透は、意識せずとも手を止めてしまった。ぎこちない動きでサビ丸に顔を向けるが、目を合わせていなかった。いや、正確に言えば後ろめたさから合わせられないのだろう。とりあえず一つ、深呼吸をして心を落ち着かせる。そして善透は普段の胡乱気なその視線をサビ丸に投げた。
「親父から仕送り止められたのか?」
「いや……違うとは思いますが」
曖昧な否定を返される。サビ丸自身もまだ状況を把握していないことを察した。
しばし思いあぐねる。善透にとってそれはありがたいようなありがたくないような出来事であった。金はもらいたくはない。しかれども、ないではないで、サビ丸の作る食事に満喫している今の状態で以前のような食費やらその他を含めて苦しい生活に戻るのはつらいものがある。借りは返すつもりでいるが、その借りが今なければ返すも何も食べるものがなくなり飢え死にしてしまう。もっとも善透は草でも食べられるものは食せるため、そういう意味では死という言葉に一番遠い存在であるが。
「なぜか連絡がとれなくなってしまって……もともと頻繁にとるほうではなかったので、ただ忙しいだけなのかもしれませんが」
安全を確認するにも善透様のお側を離れるわけにもいきませんし。そう呟くとサビ丸は項垂れた。その姿はリストラされたサラリーマンがとうとう耐え切れなくなり家族に打ち明けました、といった具合である。
金持ちのくせに仕送りは定期なんだな、善透は少し父親を恨んだ。
苛立ちを抱きながらも、サビ丸から目を離し、表示されていた株のインターネットページから検索サイトへ飛ぶ。
「しょうがない、バイトでもするか」
「えぇ!善透様にそんなことさせるわけには……」
というよりも、善透に出来るのか不安、それが本心だろう。サビ丸はうろたえている。されど最近の市場もいまいちであるため、数日凌ぐには一番だと善透は決断したのだった。


「いらっしゃいませー」
自動ドアをくぐり抜けるとそこは天国ではないが、弁当から日用品、さらには雑誌や漫画まで販売しているまさに便利な店、コンビニエンスストアで善透は働いていた。もちろん、鬱陶しいお庭番も一緒である。
店長不在の今、日ごろは学校の関係者などの他人に対して猫かぶり全開の主人、その彼は珍しいことにやる気のない、緩慢な動座で商品を陳列していた。出来る事なら苦労せずにお金を稼ぎたい、そういう本音である。
善透とサビ丸を除いて店内には若い女性の客がただ一人、閑古鳥が鳴いている。善透のいる日用品の付近からいくらか離れたお菓子の棚を物色していた。閑散とした店内に、音量の小さめなBGMが響く。
「あのー善透様、これは何ですか?」
そこに同じく仕入れを片付けていたサビ丸が手に箱を持って善透に問う。赤と白のチェックにカーキ色のズボンを身に纏い、普段からシャツにズボンというスタイルを崩さない彼からは違和感がある。しかし使役されることに慣れているためか、その振る舞いはまるで数多の戦場を経験してきたコンビニ兵とも言える。
こいつに普通のバイトができるはずがない、そもそもこんな変なやつを採用するバイトがあるわけがない、そう頑なに信じていた善透に反し、ここのバイトの店長は慈悲深い菩薩の如く、サビ丸を快く採用にしたのだった。人懐っこい笑顔にほだされたのではないかと予想される。サビ丸を雇う店長の神経を善透は疑った。そして経営方針を改めることを願った。もちろん、口には出さなかったが。
そんな彼に構わずサビ丸は話し続ける。
「日用品のようですが、サビはこんなもの初めて目にしましたぞー。生活に役立つものなんでしょうか?」
「……最近お前主夫みたいだよな」
流れでサビ丸からその箱を受け取り、視線をやると、煽り文句に脅威の厚さ0・02ミリと書かれている。厚さが重要な生活用品――嫌な予感を抱きつつ裏を返せば、予想通りのいわゆる男の大事な部分を伸びる素材でカバーするあの商品名が記載されていた。
「これは大人の階段を登るときに必要になるものだ」
善透は日用品の隣にそっと丁寧に置いた。控え目に存在を主張するそれは、まるで触れてはならない高級な芸術品である。実際触れたのも初めてであった。
「階段の掃除に役立つものですか?それなら大家さんに贈り……」
「イイコだから触っちゃダメです!」
再度手に取ろうとするサビ丸の手を素早く払いのける善透。もうその話題には突っ込んで欲しくなかった。チェリーボーイでピュアハートの持ち主である彼にはその存在をまだ自身の中で受け入れることができなかった。
サビ丸は疑問符を頭に付け善透を見詰めたが、諦めて他の品出しに戻った。KYめ、善透は深く恨んだ。空気読めない、コンドーム読めない、二つの意味で。

そうして二人でたまに小話を挟みながら作業すること数分。
「おい」
ぽん、と善透の肩を誰かが叩く。びくりと体を揺らし善透が振り返ると、無地のTシャツにジーンズというラフな格好で、さらに不機嫌そうな顔を付け加えた綿貫がいた。いつの間に店に入ってきたのか、二人はまったく気付いていなかった。客商売をしておいてそれはどうなのかは愚問である。
「綿貫!どうしたんだ、買い物か?」
喜ぶ善透とは反対に、サビ丸は眉を寄せ怒りのオーラを放つ。刺客の気配に気付かないのもお庭番として失格であるが、主人の友人に不躾な態度をとるのも論外である。綿貫の正体を知らない善透にとってはサビ丸の態度は失礼であるとしか言いようがない。
綿貫はサビ丸を睨み据える。ところが何事もなかったように善透と向き合った。サビ丸を無視するようだ。
「も……姉がまた食べられそうにない料理を作ったんで夕飯を買いにきた」
「そっかー。綿貫も大変だな。ま、またいつでもうちに食べに来いよ」
「いや、そんな何度も悪い……」
「友達だろ、遠慮するなよ」
和やかな雰囲気をジト目で見つめる者約一名。言うまでもない、サビ丸だ。邪魔をしようにも、善透に卍固めを食らわされるため二人の間に入っていけないのだろう。これまで何回技を決めたか、数え切れないほどである。
「夕飯なら弁当にするか?一応唐揚げとかチキンとかこっちで作ったやつもあるけど」
「ふ、藤の手作り……?」
感動のあまり震えている綿貫が問うが、手作りってもんじゃないけど、と善透は否定した。手作りというには大層で、ただ簡単に揚げたものである。だが彼を純粋な意味で慕っている綿貫にとってはさっと揚げたものでも手作りに変わりなかった。
ところが、いち早く反応したサビ丸が二人の間を遮った。なにゆえにそれほどまでにすざましい形相であるか、善透には見当がつかない。
「なりませぬ!サビですら善透様の手作りを食べたことはないのですぞ!こんなやつに食わせるぐらいならサビがすべて食します!」
「はあ?」
善透が止める暇なく、俊敏な動きでサビ丸はレジ前に移動すると、唐揚げやらチキンやらガラスケースに入っていた揚げ物を瞬く間に平らげていく。次々に口の中に消えるそれらを善透は呆然と眺めていた。
レジの付近にいた女性がお庭番が繰り広げる惨状を目の当たりにして、持っていた赤いお菓子の箱を落とす。その物音で善透の意識が戻った。その非常識で規格外な行動を阻止するべく、すぐさま不届き者へと迫る。
「ああああぁぁぁっ!お前何やってんだ!売りもんだぞゴラぁ!」
もぐもぐごっくん。
サビ丸はすべての食べ物を綺麗に胃の中に収め、得意気に親指をぐっと立てる。爽やかな仕草に血管が怒りで脹れあがるのを善透は感じた。
「これで善透様の手作り料理はすべてサビの腹の中です!」
「今すぐ手突っ込んで吐き出せええぇぇぇ!」
今更吐き出しても原型を留めていないどころか売り物にもなりゃしない、ただただ汚いだけであるが、怒り狂った善透はサビ丸の襟元を掴みあげ盛大に前後に揺らす。
「このばかやろう!ここは猿が住む山じゃねえんだよ!落ちてたら、そこにあったから何でも食べていいと思ってんのか!?いい加減常識を知れ!」
幸せな表情を浮かべているサビ丸とは対照に善透の顔色は怒りと狼狽で赤くなったり青くなったり忙しい。商品に手を出したのはサビ丸であり、なぜ善透が動揺しなければならないのか。憎悪の火が強くなる。
そこに、絶え間なく続くいざこざを制するが如くガラッと休憩室のドアが開く。善透の揺さぶる手が止まる。サビ丸の顔も固まる。両者の眼はその一点に向けられる。
「藤さん、渋谷さん……」
奥から現れた菩薩、店長は優しい笑みを浮かべ親指を立てた。グッジョブ――ではなく、その手はそのまま首の前を平行移動し、今すぐクビね、の一言が出たのだった。


茜色の夕日に照らされ、善透とサビ丸はとぼとぼと家路につく。二つ並んだ真っ黒な影が、淀んだ心情を表している。
「善透様……」
声から申し訳なさが溢れている。しかし善透からは反応はなく、無表情であった。
「申し訳ございません、サビがこんな失態をしたばかりに」
弱弱しく歩く二人を、ランドセルを鳴らした小学生が追い抜かしていく。
「そもそもサビが欲を出して善透様の作った料理を独り占めしたいとでしゃばりな考えを持ったことがいけなかったのです。これからは身分相応に謙虚な態度を心がけます……」
サビ丸は顔を上げなかった。もとより善透より少し背の低い彼は、その様子でさらに小ぢんまりしている。
善透は気付かれぬよう溜め息を吐いた。
「やっぱり金を稼ぐには株に限るな」
善透の呟きに自然と二人は足を止める。周辺の住宅から鼻をくすぐるカレーの美味しそうな匂いが善透に届く。もう夕飯の時間なんだと彼は遠い世界のように感じた。
「食事に関して俺はパンの耳で充分だ。最悪草もいける」
「え、栄養偏ります」
「今までそうやって生きてきたから料理なんてまともなことやったことないんだよ」
「……唐揚げおいしかったです」
それでも姿勢を直さないサビ丸にほんの少し安堵しつつ善透は背を向けた。これから言おうとすることを、さすがに面と向かって言うのは恥ずかしい思いでいっぱいになる。なぜなら彼は極度のツンデレだからである。
赤い空を仰ぐ。もうすぐ暗い青がやってくる。輝く光を連れて。善透は肩の力を抜き、口を開く。
「お前と違ってうまいもん作れないだろうし、自信はない。それでもいいなら……仕送りきたら賃金払う約束をするなら、いや、たまになら、ちげえ、気が向いたら、料理を作らないわけでもない」
サビ丸が息を呑む気配がした。
「よ、善透様……?」
「わかったんなら今日の夕飯にパンの耳もらってこいっ!」
それだけ言うと善透は走り出した。
サビ丸は追いかけて来なかった。それでいいと思いつつも、あの単細胞で理解できたのか、非常に心配であった。



ちょうど3巻の最初と2番目の話を読んでいない頃に書いたので、実際本当に父親にお金を返そうとしていた善透を見てやってしまったと思ったw



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